ちゃんとやらない!

ただの日記、本当にただの日記

肌で感じる勘違いと季節、秋のよそおい

エアコンの運転モードを「ドライ」にする。設定温度は21度。24時間動かし続けた結果、家全体の電気代は1日320円と表示されていた。

夏の間だけ、つけっぱなしにしておこう。家に帰ると涼しい部屋が待っている。この快適さを覚えてしまったら、来年も同じ選択をするだろう。

 

午前5時37分、iPhoneのアラームに起こされた。

いつもより肌寒い朝、スカッと晴れた空。どことなく秋の雰囲気が漂っていた。

運動会の日の朝みたい。

 

エアコンをつけて寝たからだろう。涼しい部屋と差し込む日差し。ちょっとした非日常を味わっていた。

朝の身支度をして、燃えるゴミを片手に家をでる。

 

外も涼しい

 

部屋がいつもよりも涼しく感じたのは、外気が涼しくなっていたから。

夏も折り返し地点を過ぎたようだ。

 

あれだけ暑い、暑いと言っていたのに、涼しい朝になるとどこか寂しい気持ちになってしまう。

ピークを過ぎてしまったんだな、と弱気になってしまうのだろうか。

 

これから過ごしやすい日がやってくるというのに、暑い夏の日が忘れられなくなる。

 

夏に向かっているときは「暑いですね」と言えたけど、夏が去っていくときに「涼しくなりましたね」と言えないのは僕だけだろう。

涼しくなり、寒くなると、一人の殻に閉じこもりたくなる。

少しずつ変化する朝の気温、枯れていく植物、スーパーに並ぶ魚、それを感じながら自分の殻に閉じこもっていく。

全てがゼロになるように。

 

暑い日を感じられるのはあとどれくらいあるのだろうか、寒い冬を実感できるのはあとどれくらいなんだろうか。

邪魔者でしかなかった暑さ、寒さに向き合っている自分がいたり、小さな変化を探そうとしている自分がいる。

 

少しばかり気持ちにも余裕ができたからだろう、変化に気付くことができるのは。

 

あとどれくらいかしたら、金木犀の香りがするようになり、会社を出る頃には真っ暗になっている。

いつしか本格的な冬になり、朝起きるのがつらくなるのも体験済みだ。

 

涼しく過ごしやすかった朝、お盆休みの会社が多いのか通勤電車も空いていた。

これも来週になれば、いつもどおりの電車になり、再来週になれば学生も増えてくる。

 

今の時期のなんとも言えない雰囲気、なんともいえない世の中がたまらなく好きだ。

各々が全く違うことを考えていそうな今の時期が。

 

昨日とはちょっと違う肌寒い朝を迎えて、昨日とはちょっと違うセンチメンタルな気持ちになる。

明日、もし今朝と同じように肌寒かったとしても、何も感じないだろう。

 

何かが変化し始めているその一瞬に、強く心を奪われたのだ。

 

エアコンがちょっと強かっただけだと思った朝、いつもよりも布団に包まっていた朝、すっきりとした目覚めだった朝、澄んだ朝日がまぶしかった朝。

昨日とは違うそれらが、1年前にも感じた気持ちを呼び起こしてくれたのかもしれない。

 

いつもより足どりが軽く、いつもよりニヤニヤした気持ちで出社する。

通勤電車の中で眺めていたツイッターのタイムライン。

「秋の朝みたいだ」「いい匂いがした」というツイートから、同じように感じている人もいるんだなぁと、嬉しくなったのも今朝の出来事。

 

変化は急にやってくる。その変化に気がつけるかどうか、気が付いたときに面白く受け止められるかどうか。

 

いつもは日陰を探して待っているバスも、一駅歩くのが嫌になる駅も、今日からは大丈夫だろう。

夏の暑さが一休みしたことで、新しく感じることができたし、過去の気持ちを聞くことができた。

とはいっても、まだ暑い日は続くし、徐々に寒い日になっていく。その変化を大事にしながら、まだまだ「暑い日だな」と言い続けたい。

 

来週からはフルに勤務。無理しない程度に頑張っていこう。

 

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次の一歩はどうしたらいいのか、いいアイデアをもらいながら、やっぱり悩む

昨日、ベッドで横になりながらネットラジオを聴いていた。

更新頻度が減ってしまった時期は、僕の中でも距離ができてしまったが、最近また聴くようになった。

 

その中で、カメラの記事の話があった。

あまりカメラや写真の記事には興味がないので、スルーしていた。

今日のお昼、ふとしたきっかけで、そのカメラの記事を読むことができた。

アイキャッチ画像の下に1文、書き出しの文章があり、その下にあるのは「続きを読む」ボタン。それを押す前に感じたこと。

「あっ、やられた」

 

今の僕が求めていたもの、それが目の前にあった。

この出会いは偶然だったんだろうか。

 

その直前には、別のウェブサイトをいくつかチェックしていた。

どちらかといえば「静」のサイト。

今はもう休刊となってしまったが、小学館から出ていた「ラピタ」という雑誌のような雰囲気があった。

 

英国紳士とまではいかないが、少しばかりのジェントルメンを学べるエッセンスが散りばめられていた。

賑やかなウェブサイトもいいけれど、落ち着いたウェブサイトもいいな。

僕が求めていたものが目の前にあった。

 

少し、はしゃぎ過ぎていたんじゃないかな。

そう思うこともあった。インターネットをキッカケに知り合うことができた人たちは年下が多い。

昨日も8歳下の知り合いと過ごしていたのだけど。

もし、僕の日常を切り取るとしたら、どんな日常になるのだろうか。そんなことを考えてしまった。

 

日常生活をコンテンツにしたい

 

いつだったか、日常生活をコンテンツにしたいと思ったことがある。

等身大のそれが、他の人には新鮮に映る。10人いれば10人の人生があるから、毎日がオリジナルなコンテンツだ。

そうやって教えてもらった僕の気持ちはどこへいってしまったのだろうか。

 

話は戻る。

 

お昼に見つけたカメラの記事。

リアルな日常が切り取られていた。さすが。

 

ときどき顔を出すカメラの情報も厚化粧するわけでもなく、さらりと紹介されている。

広く万人受けする内容と、ピンポイントで示してくれるリアルな数字。

このバランスもちょうどいい。そして何より写真がキレイ。

僕が写真で伝えたいものは「リアル」さ、その中でも「音」を伝えたい。

音が伝わる写真を撮りたいその見本があったような気がした。

 

このカメラの記事の著者の方とも、何度かお話させてもらったことがあるが、記事のことは全く知らなかった。しゃべるだけじゃなく、書くことも上手いなんて。さすがだ。

身の回りにお手本となるような人がたくさんいる環境に感謝しながら、僕は僕の道を見つけなきゃいけない。

 

とりあえずで突っ走っているところもあるけれど、本当はどうしたいのか。と。

「動」のサイトと「静」のサイト。

この2つがうまく成り立つようにするにはどうしたらいいのか。

また新しい悩みが増えている気がする。

 

変化したい気持ち、変化するキッカケ、変化する手助け。

どれも突然やってくる。

その気持ちに気付いたら、そのまま突っ走っていきたい。

 

いつの間にか日常を切り取らなくなっていた。

ネタを目の前にぶら下げて、日常を作っていた。

たぶんそうじゃないんだろうな。何も考えずに「好き」とか「やりたい」を追いかけたときに、そこにできたものが"日常"なんだろうね。

企画ありきでもいいけど、もしそうならもっと企画を追い求めたい所存。

とりあえず暖機運転が終わったと思い、そろそろ走り出したいところなんですね。

やることや、やらなきゃいけないことは分かっているのに、それにコミットできないところ、逃げてしまっているところを直して、一直線に追い求めよう。

ふとした心の隙間に、たくさんのアイデアが飛び込んできた感じ。新しい刺激を受けながら自分自身を新陳代謝していかなければ。

 

本当にいい見本が見つかったから。本当にいいものを知ることができたから。

これからが楽しみで楽しみでしょうがない。

 

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自分でも分かっている「時間が足りていない」こと、それを改善しないこと

ただただ時間が足りていないだけ。

と思うことがいくつもある。やっぱりそうだよなーと思ったことはこのツイートから。

 

確かに、フリーランスやブロガーは、とにかく動きまくってるんだろうな、スマートなやり方かどうかはさておき、動きまくっているんだろうな。

 

とすれば、僕の時間はどうなっているのか。

 

睡眠…6時間

通勤…1.5時間

会社…11時間

その他…5.5時間

 

この5.5時間に、お風呂に入ったり、家事をしたり、ブログを書いたり、フリーランスの仕事をすることが含まれる。土休日だとバランスは大きく変わるのだけど。

 

つまり、会社員の半分のリソースも割けていないのが現実というわけ。ブログなんて1時間くらいしか時間を使っていない。しかもそれはアウトプットに使う時間。

何かを上達したいと思うなら、1時間でいいのだろうか。

ピアノにしても、スポーツにしても、1時間なんて準備運動で終わってしまう。毎回身体を温めるだけで終わり。そんな時間でやっていけるのだろうか。

 

その反面、会社員としては1日の半分くらいを「会社」に投入している。それだけの成果は付いてきたし、給与だって一人前にもらえるようになった。

時間だけではないが、本気でリソースを注げるものがあれば、随分と成長するんだろうなと実感しているところ。

 

ただただブログを書くにしても、1日1時間は少ないだろ。と思いながらもそれ以上に時間を増やすことができない。

もっとも、時間ができたところで、精一杯のリソースを割けるかと言えば、答えはNOなのだけど。

 

休みの日に10時間以上の時間があったところで、クオリティも上がらなければ、量も増えない。いつも1時間でやっていることを、10時間かけてやることになる。ただそれだけのこと。

 

ということは、時間が足りていないのではなく、僕にとってブログに充てる時間は1時間がちょうどいい、会社に充てる時間は11時間がちょうどいいのかもしれない。

 

会社員の10%くらいのリソースしかないから、マネタイズ的にも給与の10%程度にしか成長させられないのかもしれない。

休日は好きなことをして遊び、はしゃいで楽しむ。ステップアップするために何をするのだろうか。結局のところ、今のライフスタイルを1年、2年と続けてこれるのは、これがちょうどいいからなのだろう。

 

たとえブログに注げるリソースが1日1時間だとしても、そのリターンがまだまだ少ないものだとしても、僕にはそれ以上でも、それ以下でもないということだ。

今の自分には、これがちょうどいい。

 

ただ、タイミングや転機というのは突然やってくるもの。

部署が変われば勤務時間も8時間でさっさと終わるかもしれない。そうなるとライフスタイルやバランスも崩れてくる。

崩れたときに初めて「これからどうしていこうか」と本気で悩めるだろうし、大幅な方向転換もできると思う。

 

そういうタイミングがないとしたら。ジワジワと自分で変えていくことが重要なのだろう。大幅な方向転換というよりは、今まで積み上げてきたものを、ちょっとずらすような。

だからこそ、もう一つのブログでは、長文での投稿を掲げているし、またもう一つのブログには事前に準備した企画を載せられるようなことを考えている。

 

考えて、動き出して、成果になるまでは、まだまだ時間がかかるかもしれないし、成功しないかもしれない。

でも、その小さな変化をうまく続けていけるように、やっていくことが重要で。

大きな成果を得るよりも、地道に続けていけることに重点を置いているから。

 

時間が足りないと考えていることも、時間が足りないだけなのか、時間が足りない錯覚をしているのか、今のままでもちょうどいい。

だから改善することは、時間を生み出すことではなく、ちょっとずつ長く作業をできるようにすること。

 

この改善方法も間違えてしまったら、どんどんドツボにハマっていくような気がしている。

少しずつ、少しずつ、改善を重ねていきたい。

 

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スマホで写真を撮るようになって、重宝しているのは過去の写真が見られること

一眼レフカメラで写真を撮ることが多い。一眼レフと言ってもエントリー機種なのでお値打ちに手に入れたものだ。画質や使い勝手、撮っているときのテンションも含めて一眼レフカメラで撮影したときのほうが優れている。

iPhoneのカメラ画質がどれだけよくなったとはいえ、まだまだ一眼レフカメラのほうがキレイに写る。

 

特に暗い場所、室内、夜景などを撮影すると、その違いは顕著に表れる。

写真が立体的ではなく、のっぺりと表面的に仕上がってしまう。階調もぱっとせず、やっぱりスマホで撮った写真だったな。となってしまうのだ。

 

それはセンサーサイズやレンズのクオリティ、現像処理までのプロセスが全く違うからしょうがない。できれば、スマホよりも一眼レフカメラで撮影したいと思うのだけど。

 

そんな中で、スマホのカメラで撮影しておいてよかったなと思うことがある。

タイトルにもあったとおり、「過去の写真を見ることができる」ということ。もちろん一眼レフカメラで撮影したとしても、クラウドにアップしておけばイージーアクセスかもしれない。が、スマホで撮影したデータは、スマホにきちんと保管されている。

 

最近のスマホはストレージの容量も増えているのでかなりたくさんの画像を保存しておくことができるのだ。

僕が今使っているiPhone7Plusは2016年のデータから保存されている。少し前に使っていたiPhone5sのデータを移行したのもあるが、2年以上は残っている。

 

ふとしたときに過去を振り返りたくなる。そんなときはないだろうか。

ぼんやりと、1年くらい前は何をしていたんだろうな。とか、半年前に行ったあそこがキレイだったな。とか。一眼レフカメラで撮影したデータのほうがキレイだけど、手元にないことが多い。スマホだと肌身離さず持っているから、いつでも見ることができる。

 

どちらかと言えば「写真」としての作品性を求めるのではなく、メモ・記録として使うほうが優れているのではないかと、最近思うようになった。写真としてのコンテンツにはなりにくいけど、そこで写真を撮った自分を思い出すには、充分すぎるくらいのクオリティだったりする。しかも、本体に保存されている便利さ、スクロールや一覧表示のイージーアクセス、大画面になりつつあるスマホで表示してみることを考えると、これも重要なツールの一つになっている。

 

今日も電車に乗りながら15分の移動中、スマホのカメラロールをスクロールしていた。名古屋から離れ、東京に来ているので色々と振り返りたくなるのだろう。

気持ちよくスクロールをしていたら1年前までさかのぼってしまった。去年のお盆休みは何をしていたのか。

紀尾井町にあるYahoo!のコワーキングスペースで作業会をしていたのはいい思い出。

3列シートの高速バスで名古屋から東京へ向かい、その足でコワーキングスペースに向かう。一通りの作業を終えてから、近くのうどん屋でうどんを食べる。

 

次の日もコワーキングスペースで作業をして、another life.さん主催のイベントに参加するためBOOK LAB TOKYOへ。

昨年、一緒に作業していた人と、今日も作業ができていることを考えると、それだけでドキドキしていしまうのだ。

 

最終日、横浜駅でランチからのイケメンがいるカフェに行き、最後はコワーキングスペースで作業。

 

それぞれの出来事は何となく覚えているけれど、表面の薄い薄いものしかない。でもカメラロールを眺めながら、その日の写真を見ることで「そういえば!!!」みたいなことがたくさんある。

たとえ画質がいまいちだとしても、逆にそのいまいちなところが、記憶を引っ張りだしてくれる味付けになっているのかもしれない。

 

スマホの写真は人生の目次のようなもの。

「デジカメ」と一括りにされることも多いけど、目的や方向性が全く違うのかもしれない。

とはいえ、スマホの画質もぐんぐん良くなっているから、作品作りにもぴったりなんだけど。

 

 

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お腹が減ったと誰が決めたのだろう

夏季休暇真っ只中。

僕が夏季休暇にやることは、おおよそ決まっている。

  • 各種サービスのIDとパスワードの管理
  • 家庭内のIPアドレス振り直し
  • ファスティング

などなど。

 

とりあえず今回は、ファスティングにチャレンジしているところです。

大型連休で感じることは、自宅だとゴハンが減るということ。会社のように休憩時間や休憩場所の制限がないので、「お腹が減ったら食べる」ことができる

ある意味、当たり前の行動かもしれませんが、会社員であればそれが難しい。

12:00にチャイムが鳴ったら昼食を。という方がまだまだ多いのだろう。

お腹が減っていなくても、もう少しあとでゴハンが食べたいなと思っても、結局のところは休憩時間に合わせてゴハンを食べてしまうということです。

 

その流れがあるからこそ、オフィス街の飲食店は11:30~13:30ごろを手厚くするようなことができるのかもしれない。みんながバラバラにゴハンを食べる世の中であば、また営業手法が変わっていることだろう。

 

ファスティングをして思うことは、意外といけるぞ。ということ。

多少、お腹が減っても生きていけると実感してる。2日間くらい食べなくても大丈夫そうだ。

身体の調子がいいとか、匂いに敏感になるとか、巷ではよく言われているけど、それ以上に僕が感じることは「時間が余る」こと。

 

ゴハンを食べる時間を20分×3回とすれば、1日1時間の時間が生まれる。合わせて、今日は何を食べようかな、どのお店に行こうかな、と思う時間や、行列のできるお店で並ぶことを考えてたら、ぐっと時間の節約ができそうな気がする。

 

デメリットとしては、時間をつぶすのが難しいということ。ファスティング中はカフェインもあまり摂らないようにしているので、コーヒーショップは行かないし、ふとした空き時間にゴハンを食べることで、時間の穴埋めをすることもない。ぼーっとしていられるだけの時間がたくさんある。

移動スケジュールに「ゴハン」と入れなくてもいいし、コンビニすらない場所が続いたところで、へっちゃらなのだ。

 

いつの間にか当たり前にしていたゴハンの文化が、足かせになっていたのかもしれない。

 

ファスティングをしながら考えることは他にもある。

実際にどれくらいの量を食べるのが正解なのか、ということ。栄養学的に1日2,000kcal食べましょうとか、基準があったとしても、自分にマッチする基準はどこにあるのだろうか。

 

定食屋さんで、からあげ定食を頼んでも、大盛だったり、物足りなかったりするように、満足する量が分からないのも問題だ。

量と一括りにしても、それはボリュームなのか、種類なのか、それもまた違ってくる。

 

自分自身のお腹が減っているレベルが感覚でしか分からないから、結局のところ感覚でしか判断ができない。

サンドイッチで満足することもあれば、ごはんを2杯食べたくなることも。こまめに5回くらい食事をしたい人がいれば、1日1回の食事で済ませたい人もいる。とりあえず、定食屋さんに行けば、だいたい同じような1食が出てくるのでそれを利用すればいいのだけど。

 

いつの間にか誰かが勝手に決めた基準を、世の中の基準だと思い込んでいるのだ。人それぞれの生き方、人それぞれのライフスタイル。

お腹が減ったのは誰が決めることなの??それは自分自身でしかないし、お腹が減ったレベルも人それぞれ。

 

最近、周囲でファスティングをする人が増え、ネットやテレビでも騒がれるようになったから僕も取り入れてみただけ。しかも長期休みの時しかできない。

それでも、自分の"食事"に対する意識が変わってきたことが、まずもっての成果だと思っている。

 

休みの日の方が自由にゴハンを食べれるから、限界まで我慢できる。

そんなことを感じたのもファスティングをしたからだ。

 

日々の生活の中で、問題なく食事ができる環境にいると、それがマヒしてくるのだろう。ちょっとした刺激を与えるためにも、連休には短期間のファスティングを取り入れてみよう。と改めて感じたのだった。

 

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高速バスより青春18きっぷを選ぶとき

名古屋に住んでいると、東京にも大阪にも移動しやすい。

もちろん新幹線を使えばあっという間だけど、高速バスや青春18きっぷを使うと、お値打ちに移動できることがある。

例えば、JRの高速バスも昼便なら名古屋~東京間が3,000円を切る割引も。青春18きっぷであれば、2,370円相当で1日中移動できる。

 

それが本当にいい手段なのかどうかは別にして。

僕は高速バスより青春18きっぷのほうが好き。移動時間が多少増えたとしても。

 

高速バスは乗り換えなしで移動できる。午前7時ごろに名古屋駅を乗車すると13時ごろには東京に到着する。最近の車両は乗り心地もよく、コンセントにWi-Fiも完備。もちろん化粧室も。至れり尽くせりの高速バスなのだ。

 

一方で青春18きっぷで移動する名古屋~東京間と言えば。午前7時ごろに名古屋駅を出発すると、豊橋、浜松、静岡、熱海で乗り換えることが多い。タイミングがよければ、2回の乗り換えで東京に到着する。

コンセントもWi-Fiもなければ、浜松~熱海間の電車の中には化粧室がない編成も。予約いらず、料金もお値打ちだけれど、それ以上に僕にはメリットがある。

 

高速バスと青春18きっぷを比べた時に、青春18きっぷに軍配が上がるのは「途中でリタイアできる」からだ。

 

コスト的に許すなら、新幹線のグリーン車や、JALのクラスJを利用したい。が、なかなかそうはいかない。新幹線の4倍近くの時間をかけて、4分の1のコストで移動する。

そこにはストレスがたくさん待ち構えています。移動の環境は新幹線のグリーン車に比べると格段に悪い。そのストレスと余分にかかる時間が、価格差になるんですけど。

 

つまり、青春18きっぷなら「途中でリタイアできる」というのは、リタイアしやすい環境であるということです。

高速バスに乗ってしまうと、最後まで乗り続けなければいけない。騒がしいとき、残念な人が隣だったとき、いろいろと我慢できなくなったとき。そんなときに「やっぱやめた」と言えないんですね。基本的に高速バスは、最後まで連れて行ってくれます。

 

それが鉄道だったら。青春18きっぷだったら、いつでも辞めることができます。もちろんお金が余分にかかりますが、豊橋駅で挫折して新幹線に変更することができます。たまたま巡り合わせが悪くて、この電車に乗るのが苦痛だ!!と思えば次の選択肢がある。

その安心感は絶大ですね。

 

幸いなことに、東海道本線は東海道新幹線と並行して走っています。乗換駅も多数ある。ということは、自分の限界を超えたときに、爆発しないでいいんですよ。

 

だから青春18きっぷを選びますが、例外はあります。

ジェイアール東海バスの昼便でも、3~4本は名古屋~東京間で3列シートで運行していることがあります。夜行バスと同じスタイルですね。

その場合は、隣に座る人とも間隔があるので、残念レベルがうんと下がる。問題なく名古屋~東京間を過ごすことができるので、積極的に利用します。乗り換えもなく、シートもリクライニングする、コンセントにW-Fi、条件としては高速バスのほうがいいですから。

 

また予定が組みやすいのは青春18きっぷです。立って移動するだけの心構えがあれば、青春18きっぷ発売期間愛はいつでも移動を開始できます。高速バスの場合は座席定員があるので、事前予約が必要だったり、満席だと乗れない場合も。

3列シートのバスは、土日祝日だと1週間前には売り切れいてる印象だ。

 

そのちょうどいいところを攻めるのが、それはそれで楽しいのだけど、先にある目的が楽しいことか、負担のあることか、そのレベルによって違うだろうし、移動途中に楽しみがあるかそうでないか、によっても変わってくる。

 

いつだったか、東京へ行った帰り。静岡駅でギブアップして、静岡~名古屋間を新幹線利用した。6,000円近く支払ったし、2,370円の青春18きっぷ代もあったが、それでも身体が無理!!と言ったので、ギブアップした。

 

一昨年の夏だったか、倉敷に行った帰りもそうだった。米原での乗り換えがあまりにカオス過ぎて、3,000円弱払って新幹線にした。

トータルで考えたとき、どれだけオトクだったか、ということはあるが、我慢できないそれを止められることのメリットは大きい。

 

もちろん乗る前にやめたこともある。去年の8月、友人と東京でお茶をしていて。

16:30ごろに出発しないと帰れない。と分かっていながら、夜遅くまで楽しんだ思い出。

その日はもちろん新幹線。

 

臨機応変に対応できる青春18きっぷと新幹線。その組み合わせが、今の僕にはピッタリなのかもしれない。

 

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とにかくやってみて気付くこと

ちゃんとやれ!というブログを書いているスズキです。

それとは逆に、ちゃんとやらない!というブログも書いています(当ブログ)

こちらのブログでは、できるだけくだらないことを思うがままに書いていきたいと思っています。なんなら、気まぐれ更新です。

 

お世話になってる「Bloggers Tea Party」の企画で、とにかくめっちゃ書いてやろうと決めた今週の色々。

 8/11~8/18の期間中、1,500文字以上の記事を何本投稿できるか。というイベントで。

僕の算段では、30本はいけるんだろうなーと思っているんですけど。

 

何も考えずに取り組んでいたら、5本も書けない。それは、棚ぼた的な結果を期待しているから。とりあえずやっていたら、結果がついてくるんじゃないか。

と思うものには、良い結果が付いてこない。

 

意地でも納期を決めて、自分自身を奮い立たせて、追い込まないと。

というわけで、僕は30本更新を目標に、日々記事を投下していくわけです。

 

さて、最近は、暑い日が続いていますね。名古屋では40度を超える暑さで、生きているのが精一杯。そんなときには冷たいものが恋しくなります。

そうめん、ビール、アイスクリーム。

その中で、アイスクリームについて、面白いツイートを見つけました。

厳密にはアイスクリームではなく、カップかき氷の話。 

 

 

 隊長氏が、かき氷のカップアイスに牛乳をかけて食べるとめっちゃうまいで!!!とツイートしていたので、真似てみる子tに。

 

つべこべ言わずやってみないとわからないし、自分の目で確かめたい。そう思う気持ちが僕を降雨させてくれます。

 

近所のファミリーマートで宇治金時かき氷を買い、ついでに牛乳も買う。

かっちかちに凍ったカップかき氷を器にあける。まるでプッチンプリンをひっくり返したかのようにキレに出てくるかき氷。

 

そこに目分量で牛乳を入れる。すると、なんとも言えない雰囲気のかき氷に仕上がった。 

 

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裏側のくぼみ部分にも、きれいに牛乳が溜まり、升にこぼす日本酒のような趣が。

 

このかき氷と牛乳で気付いたこと。

それは、写真でいう牛乳が溜まっている中心部はカッチカチで固いのに対して、デコボコしている周囲の角っこはすごく崩れやすい。

ちょうど肩の部分から崩してやると、かき氷と牛乳が自然と混ざり合うんですね。

 

普段はそんなこと気にしたい、どこが固いどこが柔らかいとか。

それをひっくり返して、牛乳を入れることで、学びが一つ増えるわけです。

 

さて、かき氷を崩しながら牛乳を混ぜていくと、結局は何になるのか。

すごく納得するような味わい、すごく懐かしい雰囲気。

 

その正体は、スタバの抹茶クリームフラペチーノ。

 

最近は、カロリー、カロリーと言われるので、スタバのフラペチーノ系は避けていましたが、ここにきて再開しました。

これは、抹茶クリームフラペチーノの下の部分、つまりクリーム抜きになった抹茶クリームフラペチーノです。

 

抹茶フラッペだと考えれば、これも当たり前の答えだし、驚きはなかったけれど。

実際にやってみないとこれも気付かない。本当にやってみることは大事なんですね。

 

かき氷と牛乳、手軽に入手できるし、コストもかからない。2つ合わせて300円程度。

隊長氏が「美味しい」と言っているなら、これは試してみるしかないわけです。実際に試してみたからこそ、新しい気付きがいくつも見つかった。

見つかっただけでなく、「じゃぁ別のかき氷でやってみたらどうなんだろうか」と気分を高めてくれるパワーがありました。

 

たまたま見つけたそれを、頭の理解だけで終わるのではなく、実際にやってみる。

やってみることで、自分自身のものとなる。

かき氷と牛乳からも、学ぶところがたくさんあるんですね。

 

ただただスルーしていくのではなく、一度自分で受け止めてみることが、僕自身の成長にもつながるんだなぁと実感したできごとでした。