2020年10月22日 過去は置いてくるものなのかもしれない

パソコンの中をあれこれ探していたら、ずいぶんと古い写真が出てきた。
今から15年程前の写真がたくさん。

15年も経てば、環境は大きく変わる。ケータイで撮った小さな写真で満足していた自分が懐かしい。

自分の記憶にある写真もあれば、全く記憶にない写真もある。
当時のインターネットのお友達と写っていた写真は、神戸のモザイク大観覧車だった。加古川で会った記憶しか無かったので今更ながら驚いている。

倉敷チボリ公園は2008年に営業を終えた。今はショッピングセンターが建っている場所に、昔は観覧車があったのだ。

そうやって、過去を知る人がどんどん少なくなっていく。僕が歩んできた道を、と言ったほうが正確かもしれない。

「あのとき○○だったよね」なんて、話ができることが、どんどん貴重になっていく。

仕事でも同じで。今日は朝からトラブル続きだった。データの欠損、通信回線の不良、クラウドの障害。自宅にいながらも、久しぶりの緊張感だったけれど。そんな話が通じる人も、あっという間にいなくなるのだ。メンバーの入れ替わりも激しく、ドライな関係が続いている。

個が重視されるようになり、不用意に相手のエリアに踏み込まなくなった。当たり障りない関係で。
良いことも、悪いことも少なくなっていく。共感して盛り上がる経験がどんどん減ってくるような、そんな気がしている。

プラスの面でも、マイナスの面でも、自分で足跡を残していかないと、ぽっかりと穴が空いてしまいそうだ。

一人でも生きやすくなり、そんなに不自由していないけれど。過去を共有できるような人が少しでもいてくれたらな、なんて。

前に向かって走り出しているから、あまり後ろは振り返らないようにしているけれど。
せめて、後ろのドアを閉めるときくらい、立ち止まって、振り返って、深々と頭を下げたいのだよ。

そのときに、同じ景色を見てくれるような存在の人がいたらいいな、なんて思うのだけど。

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