2021年07月05日 同じ道を歩きたいと思うのは差分アップデートをするから

昔からの変な癖だと思っています。
新しいところをどんどん開拓するのではなく、同じ道をもう一度歩いてみたい、同じ景色を見てみたい。

それが、定宿と呼ばれるような場所ができ、常連さんになることで、新しいことへの不安がなくなるとか、知っているから楽ちんとか、そういう思いがあるわけではなくて。
同じ道を歩くことで、同じ場所に行くことで、より深く楽しめると思っているからです。

誰かと歩いた道を、今度は一人で歩いてみようかな。アイツと行ったお店に一人で行ってみよう。
初めてのときは気づかなかった新しい発見が、差分アップデートとして面白さになる。

だから、同じ道をもう一度歩いて、今まで見逃してきたものをもう一度見てみたいと思うんです。

同じ映画を何度も見ることで伏線が回収できたり、主人公の立場で、人物Aの立場でモノゴトを見ることができるようになったり。

新しいことへのドキドキを求める気持ちもよくわかるけれど、もう一度同じ風景を探してみたいな、なんて思うことのほうが多かったりします。

1年ぶりに訪れたそのお店、相手は僕のことを知らなくて当然だし、常連さんみたいな扱いを求めているわけではなくて。
当時の光景がそこにあるのかな、という楽しみや、ゆっくりした中にある時間の流れを感じられるようになるから。

最近、特に感じるのは、それは相手側の変化ではなくて、自分の変化に気づくことを目的としているのではないか、ということでした。
1年前の自分と、今の自分、そこには1年の距離があって、生活の変化や思考の変化が積み重なっています。

同じ道をもう一度歩くことで、自分の気持ちや感覚をリセットする、基準点に戻すことができる期がしているから。
数値化できない自分の成長や思考の変化を、なんとなくだけど感じることができるから、同じ道を歩きたくなります。

動と静があるなら、これは静のこと。
自分の気持ちを落ち着かせて、違いを丁寧に見つけ出して、それをアップデートする。その作業のために、この前と同じ電車に乗ったり、同じホテルに泊まったり、同じ定食屋さんに行ったりするみたい。

もう一度、あの光景を見て気持ちをニュートラルポジションに戻したいから、軌道修正の旅に出ようと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました